「発症~出発」編の解説

【病気】- 小学生の時に右手中指から若年性関節リウマチを発症すると、「年寄りの病気」とからかわれて、病名を言えなくなった。すぐに両手首と両足首の関節に進行し入退院をした。
卒業式の日に飛行機に乗って入院して、冷凍庫で体を冷やす治療をした。方言が違ったり、習慣が違ったり、私はとても子供で、寂しくて10キロ痩せた。退院が決まると薬を飲まされて、薬の副作用で急に25キロ太ったことが、受け止められなかった。地元の中学に通うと、私だけ太って、制服を着てなくて、入院中に短く切られた髪が恥ずかしくて、友達と話せなくなった。

【弱っていくこと】- 高校に通うと痩せた。でも膝の関節が、ギーギーと音を立ててこすれて、痛くて、歩くのが遅くなった。
卒業して、東京のデザイン学校に通うと、首と肩と背骨が痛くなって、膝が曲がって、歩く速度が半分になった。転ばないように下を向いて歩くと、一緒に歩いてもらえなくなった。薬を飲む度に痛みがひどくなって、薬を減らすと高熱と激痛で起き上がれなかった。いつも全力疾走したように疲れて、心臓の鼓動が早くて、時々記憶が消えて戸惑っていると、「怠けている」とか「嘘つき」と言われた。
1年間通うと決めて、1年経った時に限界が来て学校を辞めたら、すぐに歩けなくなったけど、もう誰にも会わなくても良いと思うと、ホッとした。

【歩けなくなること】- 歩ける人と同じようには動けなくなって、同じ目の高さで話せなくなると、どうやって話せば通じるのか分からなくなった。私を見るのが痛々しかったのかもしれないし、どう接したら良いのか分からなかったかもしれないけど、面倒に感じる人もいた気がした。人の気持ちを敏感に感じ取るようになると、人を信じられなくなって、弱って、歩けなくなった自分の姿を見られるのが嫌だと思った。気を遣われて、私の前だと話されない話題が出来たのを感じた。私に会いに来る人はいなくなった。

【トンネルの中】- 少しでも体を動かすと激痛で、四六時中拷問されているようで、泣いていると、表情と感情と言葉と、少し記憶をなくして、体が動かなくなって、寝たきりになった。もう誰にも会いたくないと思ったのに、一生、部屋の中で、何も知らないまま、何も経験できないまま、私の存在は世間から忘れられて、誰にも知られずに死ぬのかと考えたら、怖くなった。暗くて、長くて、出口が見えないトンネルの中にいるようだった。

【笑うこと】- ある日、何かに笑わされた。私が笑ったのを見て、いつも暗い顔していた両親が、顔を見合わせて嬉しそうに笑ったのを見てから、笑えるようになろうと思った。毎日、テレビを見て、声にして笑う練習を続けると、だんだん笑えるようになって、本当に笑えるようになった。少し体の痛みが消えて、少し座っていられるようになって、少し人と話せるようになった。

【好きなこと】- 鉛筆を持てなくなっていた。絵を描きながら手に持つ練習をすると、手が動くようになって、座っていられる時間が増えた。花の絵をたくさん描いた。通信教育で絵の勉強をして、絵を描く仕事をしたけど、自分の絵の価値が分からなかった。働いた事がなくて、健康な体じゃないと、交渉ができなかった。人から障害者と言われて、自分が障害者になったと知った。

【インターネット】- 父が仕事の為に買ったパソコンで、インターネットのチャットを見つけた。自分の姿を誰にも見られずに済むから、見た目や、性別や、歩けるかどうかを、誰も気にせずに、普通に話してくれて、人として扱ってもらえた。友達になってくれる人達が大勢できて、私の性格を褒められた。私の性格は、自分が思うよりも良いのかもしれないと、少し自信が持てた。

【インターネットの友達】- 好きと言ってくれた人に、勇気をふり絞って「歩けない」と話したら、呆気なく受け入れられて、歩けないと話すのが怖くなくなった。急に会いに行くと言われて、出かける服がなくて急いでカタログで注文した服を着て、伸びたままの髪と、化粧品がなくて、化粧をできなかった私を見られると、がっかりされた。人の態度は見た目で左右されることを実感した。でも家から外に出る勇気をくれた恩人になった。
わたしが人に会ったのを知った友達が、会いたいと言ってくれると断れなかった。実際に会うのは怖かったけど、友達は会っても態度が変わらなかった。インターネットから外に出た私には何もないのに、友達でいてくれるのが不思議だった。

【人に会うこと】- 病院のリハビリで障害者の友達ができて、リハビリの先生達が、皆と一緒に連れ出してくれると、少し人が怖くなくなって、たくさんの人に会えるようになった。
障害者に訪れるチャンスは、3年に一度しか来ないと感じたから、誘われたら絶対に断らないと決めた。ボランティアを手伝だったり、主治医達と韓国の視察旅行に行くことになったりした。

【たくさんの壁】- リハビリの先生が友達になってくれて、うまく話せない私を待ってくれたり、遊びに連れて行ってくれたり、困っていることを解決する方法を、一緒に探してくれたりしたけど、見つからなかった。車の免許を取る方法を、一緒に探してくれたけど、あと少しの所で方法が途切れた。結婚の話をする人がいたけど、結婚できる方法が見つからなかった。障害を持っていると、禁止されていることが多すぎて、何もできない仕組みになっているように感じた。

【鍵を握る人】- 偶然、ヘルパーと言う仕事の人と出会って、制度を知って利用すると、普段、困っていた事が解決して、家族の手を借りる事が減って、行きたい場所へ出かけられるようになった。普通の人のように扱ってもらえて、新しい友達が増えて、仲良くしてくれる人が出来て、毎日が楽しくなって、障害を持った人達とも知り合って、障害者の研修を受けられて、勉強が出来るようになった。

【電動車椅子のこと】- 相談員に紹介された業者に、電動車いすを作ってもらった。
乗ると、体が痺れて痛くて、少しの時間しか乗れなかった。人から体に合ってないと教えられて、作り直しの申請をすると、役所をたらい回しにされた。話し合っても、何度もあきらめるように言われるだけだった。助けてくれる人は殆どいなかったけど、少しずつ専門家が集まった。県知事に全部書いて送ったら、再度、話し合いが開かれて、あきらめるように言われたけど、一緒に行った専門家が、一言言ったら、作り直せることになった。
二台目の電動車椅子は、専門家の人達と、若い作業療法士達と、新しい業者が、一緒になって作ってくれて、やっと自分の電動車椅子が作れて、嬉しかった。
電動車椅子が出来たら、また歩けるようになった気がした。

【出発】- 何かが変わればいいのにとか、夢があると言いながら、何もしない人がたくさんいた。何も変われなくて、何も出来ない人の方が多かった。ずっと同じ場所にいたかったけど、私の居場所はなくなって、追い出されるようで寂しかった。自分が変わる事は、周りの人の圧力になる事があるのかもしれないと思った。
研修で知り合った障害者達の知識は、一人で生活を始めなければならない私を助けてくれた。
ずっと口を聞けなくなっていた母と、仲直りして家を出た。

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