くるまりす「発症~出発」編

【病気】- 子供のとき、病気になって手と足が痛くなると、走れなくなった。
飛行機にのって、遠いところに入院させられた。
初めて、わたしと同じ病気の人を見たら、痛そうで、こわくなった。
治りょうが嫌で、さみしくて、やせて、風がふいたら、ふらふらした。
退院が決まると、薬を飲まされて、家に帰ったら、薬のせいで、すごく太っていた。
太ったわたしを見られたくなくて、友だちと話せなくなった。

【弱っていくこと】- 恋したらやせた。でも足がもっと痛くなって、歩くのが遅くなった。
絵や、物つくりの勉強にでかけたところは、おおぜいの人がいて、みんなが忙しそうだった。
大きなヘビのお腹に、おおぜいがギュウギュウに入ると、ヘビは鳴きながら動いた。
わたしもギュウギュウに押されて、肩も背中も痛くなった。
力が入らなくなって、ゆっくりにしか歩けなくなったことを、友だちに話したら、「もっと、がんばればいいのに」と言われた。
いつも通りの朝に、一瞬で夕方になって、とまどった日があった。「うそつき」と言われた。
友だちをやめた。
ひとりで勉強だけした。
歩けなくなったけど、歩けなくなって、よかった。

【歩けなくなること】- 社会人になったり、自分のお金をはらったり、社会の決まりを知ったり、結婚はまだかと言われたりするのは、大人の仲間だからだと分かった。
わたしは、大人の仲間に入れてもらえなかった。
大人になる前に、仲よくしていた子たちは、歩けなくなったわたしのことを、仲間にするのをやめたんだと思った。
体中がいたすぎて、泣いていたら、もっと仲間に入れてもらえなくなっていた。

【トンネルの中】- いたくて、ねたまま、うごけなくなって、まい日、ないていたら、うまく考えられなくなって、まっくらなトンネルの、まん中に、おいて行かれたみたいだった。
お父さんとお母さんは、かなしいかおや、こわいかおをして、ごはんを、はこんできた。
わたしは、くらいトンネルの中の生きものになったみたい。
くらいトンネルの中の生きものは、きたなくて、くさくて、かなしそうにみえた。

【笑うこと】- ある日、だれかに、「わっ」と、おどろかされて、びっくりして笑った。
わたしが笑ったら、お父さんとお母さんが、おたがいの顔を見て、うれしそうに笑った。
お父さんとお母さんが、よろこぶと思って、笑うれんしゅうをした。
笑うマネをしていると、どこからかリスがきて、いっしょに笑うマネをした。
わたしが笑うマネをするのを、リスがマネして笑って、わたしもリスが笑うマネをするのをマネして笑って、いっしょに笑うマネをしていたら、おもしろくなって、ほんとうに笑えるようになって、まい日、いっしょに、たくさん笑った。
気がついたら、少し体が、いたくなくなっていて、リスは、かくれてしまって、四本足の歩くイスをおいていった。
歩くイスは、わたしをイスのひざに、すわらせてくれた。

【好きなこと】- えんぴつを見つけたけど、えんぴつを、うまく持てなくなっていた。
紙に、えんぴつや、本や、まどや、さくらんぼの絵をかいたら、だんだん手が動くようになった。
リスの絵をかいたら、いつのまにか、絵の上に、いろんな形のタネがころがっていた。
タネをまいたら、たくさん花がさいて、太陽の光があたって、きれいで、トンネルの外みたいだと思った。
たくさん、花の絵をかいた。

【インターネット】- トンネルの天井から、クモの巣にかかっている人が話しかけてきた。
クモの巣の人は、歩くイスの四本足と、わたしの二本足を見て、「クモのなかまだね」って言うと、木の枝にかけた光るクモの巣をひとつくれた。
くらい所でも光が当たっているみたいで、糸のすきまから、たくさんの文字がうかんで、ながれて行くのを見ていると、「それは、なかまの言葉だよ」って教えてくれた。
文字にさわると、わたしの言葉になって、指ではじくと、ちがうだれかの言葉がもどってきた。
みんなが、いっぱいおしゃべりしてくれて、楽しくなった。

【インターネットの友だち】- ひとりが、わたしに会いたいと言って、会いに来てくれた。
でも、くらいトンネルの中の、わたしを見て、がっかりされた。
ふたり目が、友だちをつれて会いに来て、みんなでわたしと、歩くイスを車にのせて、あそんでくれた。どうして、わたしに、がっかりしないのか、ふしぎだった。
糸のすきまから、うかぶ文字じゃなくても、少し、おしゃべりできるようになった。

【人に会うこと】- 歩くイスは、わたしを、ひざにのせて、歩いてくれた。
つれて行ってくれた所で、はじめて、ほかの歩くイスに会った。
歩くイスにすわっている人と、おしゃべりすると、いっしょに歩く人も、話しかけてきた。
歩くイスと、歩くイスにすわっている人と、歩く人に、また会ったとき、ほかの歩くイスと、歩くイスにすわっている人と、いっしょに歩く人が、話しかけてきた。
会う人がたくさんになると、みんなが、いろんな所に、つれて行ってくれた。

【たくさんのカベ】- トンネルの中で仕事をする人から、「自分で歩けない人が、とおる道はないよ」と言われて、とおせんぼされた。
トンネルの中をとおる人も、「自分で歩けないから、道がとおれなくても、しかたないよね」と言った。
トンネルの中で会った、やさしい人が、いっしょに道をさがしてくれて、なかなか、すすめなかったら、ゆっくり待っててくれて、友達になってくれた。
仲間のひとりが結婚の話をしてきたけど、道が、とおれなければ結婚できないと思った。

【カギをにぎる人】- 歩くイスにすわった仲間の中に、カギをもった歩く男の人がいた。
男の人は、「門番をしている」と言った。
門番は、たくさんの歩くイスと、歩くイスにすわっている人がいる所を知っていて、歩けなくても、道をとおる方法を知っていて、そこに行くカギを開けられると教えてくれた。
「わたしも、つれてって」と、おねがいした。
門番がカギを開けると、門の中には、たくさんの歩くイスと、歩くイスにすわっている人と、歩く人がいて、わたしを仲間に入れてくれて、話をたくさん聞いてくれた。
仲よくなった人ができて、色んな人と話せるようになって、行きたい所に行けるようになって、できることや、やりたいことがふえて、すごく楽しかった。

【くるまリスのこと】- 仲よくなった人から、「くるまリスがいる」って聞いた。
トンネルの中で仕事をする人が教えてくれた、くるまリスは、考えごとばかりしていて、仲よくなれなかった。
歩くイスが、連れて行ってくれた森で会った、くるまリスは、なつかしいかんじがして、歩くイスと仲よしだった。
くるまリスは大きくて、わたしを姫だっこして遠くまで歩いてくれた。

【出発】- 門の中も暗いトンネルの中だった。
門の中の人は、門番がいなければ外に出られなくて、外に出るのをこわがった。
くるまリスはカギを開ける方法を知っていて、わたしは門を出たり入ったりできるようになった。
ずっと、ここにいたかったけど、やさしくない人が増えて、追い出されるようで、出ていくしかなかった。

「発症~出発」編の解説

【病気】- 小学生の時に右手中指から若年性関節リウマチを発症すると、「年寄りの病気」とからかわれて、病名を言えなくなった。すぐに両手首と両足首の関節に進行し入退院をした。
卒業式の日に飛行機に乗って入院して、冷凍庫で体を冷やす治療をした。方言が違ったり、習慣が違ったり、私はとても子供で、寂しくて10キロ痩せた。退院が決まると薬を飲まされて、薬の副作用で急に25キロ太ったことが、受け止められなかった。地元の中学に通うと、私だけ太って、制服を着てなくて、入院中に短く切られた髪が恥ずかしくて、友達と話せなくなった。

【弱っていくこと】- 高校に通うと痩せた。でも膝の関節が、ギーギーと音を立ててこすれて、痛くて、歩くのが遅くなった。
卒業して、東京のデザイン学校に通うと、首と肩と背骨が痛くなって、膝が曲がって、歩く速度が半分になった。転ばないように下を向いて歩くと、一緒に歩いてもらえなくなった。薬を飲む度に痛みがひどくなって、薬を減らすと高熱と激痛で起き上がれなかった。いつも全力疾走したように疲れて、心臓の鼓動が早くて、時々記憶が消えて戸惑っていると、「怠けている」とか「嘘つき」と言われた。
1年間通うと決めて、1年経った時に限界が来て学校を辞めたら、すぐに歩けなくなったけど、もう誰にも会わなくても良いと思うと、ホッとした。

【歩けなくなること】- 歩ける人と同じようには動けなくなって、同じ目の高さで話せなくなると、どうやって話せば通じるのか分からなくなった。私を見るのが痛々しかったのかもしれないし、どう接したら良いのか分からなかったかもしれないけど、面倒に感じる人もいた気がした。人の気持ちを敏感に感じ取るようになると、人を信じられなくなって、弱って、歩けなくなった自分の姿を見られるのが嫌だと思った。気を遣われて、私の前だと話されない話題が出来たのを感じた。私に会いに来る人はいなくなった。

【トンネルの中】- 少しでも体を動かすと激痛で、四六時中拷問されているようで、泣いていると、表情と感情と言葉と、少し記憶をなくして、体が動かなくなって、寝たきりになった。もう誰にも会いたくないと思ったのに、一生、部屋の中で、何も知らないまま、何も経験できないまま、私の存在は世間から忘れられて、誰にも知られずに死ぬのかと考えたら、怖くなった。暗くて、長くて、出口が見えないトンネルの中にいるようだった。

【笑うこと】- ある日、何かに笑わされた。私が笑ったのを見て、いつも暗い顔していた両親が、顔を見合わせて嬉しそうに笑ったのを見てから、笑えるようになろうと思った。毎日、テレビを見て、声にして笑う練習を続けると、だんだん笑えるようになって、本当に笑えるようになった。少し体の痛みが消えて、少し座っていられるようになって、少し人と話せるようになった。

【好きなこと】- 鉛筆を持てなくなっていた。絵を描きながら手に持つ練習をすると、手が動くようになって、座っていられる時間が増えた。花の絵をたくさん描いた。通信教育で絵の勉強をして、絵を描く仕事をしたけど、自分の絵の価値が分からなかった。働いた事がなくて、健康な体じゃないと、交渉ができなかった。人から障害者と言われて、自分が障害者になったと知った。

【インターネット】- 父が仕事の為に買ったパソコンで、インターネットのチャットを見つけた。自分の姿を誰にも見られずに済むから、見た目や、性別や、歩けるかどうかを、誰も気にせずに、普通に話してくれて、人として扱ってもらえた。友達になってくれる人達が大勢できて、私の性格を褒められた。私の性格は、自分が思うよりも良いのかもしれないと、少し自信が持てた。

【インターネットの友達】- 好きと言ってくれた人に、勇気をふり絞って「歩けない」と話したら、呆気なく受け入れられて、歩けないと話すのが怖くなくなった。急に会いに行くと言われて、出かける服がなくて急いでカタログで注文した服を着て、伸びたままの髪と、化粧品がなくて、化粧をできなかった私を見られると、がっかりされた。人の態度は見た目で左右されることを実感した。でも家から外に出る勇気をくれた恩人になった。
わたしが人に会ったのを知った友達が、会いたいと言ってくれると断れなかった。実際に会うのは怖かったけど、友達は会っても態度が変わらなかった。インターネットから外に出た私には何もないのに、友達でいてくれるのが不思議だった。

【人に会うこと】- 病院のリハビリで障害者の友達ができて、リハビリの先生達が、皆と一緒に連れ出してくれると、少し人が怖くなくなって、たくさんの人に会えるようになった。
障害者に訪れるチャンスは、3年に一度しか来ないと感じたから、誘われたら絶対に断らないと決めた。ボランティアを手伝だったり、主治医達と韓国の視察旅行に行くことになったりした。

【たくさんの壁】- リハビリの先生が友達になってくれて、うまく話せない私を待ってくれたり、遊びに連れて行ってくれたり、困っていることを解決する方法を、一緒に探してくれたりしたけど、見つからなかった。車の免許を取る方法を、一緒に探してくれたけど、あと少しの所で方法が途切れた。結婚の話をする人がいたけど、結婚できる方法が見つからなかった。障害を持っていると、禁止されていることが多すぎて、何もできない仕組みになっているように感じた。

【鍵を握る人】- 偶然、ヘルパーと言う仕事の人と出会って、制度を知って利用すると、普段、困っていた事が解決して、家族の手を借りる事が減って、行きたい場所へ出かけられるようになった。普通の人のように扱ってもらえて、新しい友達が増えて、仲良くしてくれる人が出来て、毎日が楽しくなって、障害を持った人達とも知り合って、障害者の研修を受けられて、勉強が出来るようになった。

【電動車椅子のこと】- 相談員に紹介された業者に、電動車いすを作ってもらった。
乗ると、体が痺れて痛くて、少しの時間しか乗れなかった。人から体に合ってないと教えられて、作り直しの申請をすると、役所をたらい回しにされた。話し合っても、何度もあきらめるように言われるだけだった。助けてくれる人は殆どいなかったけど、少しずつ専門家が集まった。県知事に全部書いて送ったら、再度、話し合いが開かれて、あきらめるように言われたけど、一緒に行った専門家が、一言言ったら、作り直せることになった。
二台目の電動車椅子は、専門家の人達と、若い作業療法士達と、新しい業者が、一緒になって作ってくれて、やっと自分の電動車椅子が作れて、嬉しかった。
電動車椅子が出来たら、また歩けるようになった気がした。

【出発】- 何かが変わればいいのにとか、夢があると言いながら、何もしない人がたくさんいた。何も変われなくて、何も出来ない人の方が多かった。ずっと同じ場所にいたかったけど、私の居場所はなくなって、追い出されるようで寂しかった。自分が変わる事は、周りの人の圧力になる事があるのかもしれないと思った。
研修で知り合った障害者達の知識は、一人で生活を始めなければならない私を助けてくれた。
ずっと口を聞けなくなっていた母と、仲直りして家を出た。

はじめに

このブログは、発症した頃からのことを私の分身の”まりす”に語ってもらいながら、私は解説で実際に起こった出来事を語ります。

まりすは、私が健康だった体と人生を失くした後に、自分を取戻して新しく成長するために人生のお手本になった素直で自由な「幼い頃の私」です。

”くるまリス”は、まりすの不自由な足に代わって姫だっこして歩く大きなリスです。解説では、電動車いすが私の足の代わりになっています。

【発症~出発編】と【到着~生活編】は、実際に起こったことの時系列に沿って進んで行きます。物語によっては、現在進行中で成り行きを見守っている出来事もあります。

【発症~出発編】は地方での生活の話を中心に、【到着~生活編】は都心での生活の話を中心に書いています。その時の代表的な出来事を、おおよその時系列にして短くまとめてあります。

これから書いて行くブログには、この時系列を軸に、更に詳しい出来事と、制度の事、生活の事、周りの人との関係、知ったことや、体や心の事など、書ける範囲で書いて行く予定です。

このブログの目的は、障害の有無を主なテーマにするというよりも、私が経験したことが、似たような状況で困っている人や、情報が必要な人の資料になることです。乗り越えられないように感じる問題に向き合う方法や、対立だけではなくて和解を考えたり、あきらめずに済む方法などを、私なりに考えて、行動して来たことが、読む人の役に立つといいと思います。

くるまりすの世界観や私の表現が、生きる環境によって偏った表現になることがありますので、ご理解の上お読みください。
誹謗中傷や悪意を感じるコメント等は固くお断りします。

(最終更新2021/05/19)