『国が認める「特定疾病」の介護保険』移行問題の話

こんにちは。くるまりすblogの筆者です。

 障害者総合支援法の重度訪問サービスを受けて生活している私は、自分に起こった問題を、その都度調べたり制度に詳しい人に聞いたりしますが、この【国が認める特定疾病】の介護保険移行問題については、調べても、制度に詳しい人に聞いても、簡単には解決しませんでした。私が経験した事を例に、私が問題解決に向けて取った行動や考えを書いて行きます。

【私の病気と「介護保険における特定疾病」との関係】- 私の疾病は子供の時に発症するリウマチです。厚生労働省の政策で関節リウマチは「特定疾病の選定基準の考え方」の「特定疾病の範囲」に入っています。これが国が「特定疾病」と認めた疾病ということです。
私の場合は、40歳以上65歳未満の2号被保険者が介護保険を申請できる疾病に入ります。

● 厚生労働省「特定疾病の選定基準の考え方」 https://www.mhlw.go.jp/topics/kaigo/nintei/gaiyo3.html

【私の症状】- 子供の時に発症し、全身の痛みと関節の変形によって19歳で歩けなくなりました。現在は重度の障害に分類され、「障害者総合支援法の重度訪問サービス」を受けて生活しています。
 リウマチは医学的に未解明で、進行したら元には戻らないと言われています。
現在は良い薬ができていて、初期であれば症状を止めることが出来るそうなので、最近は重度化する人は減っているようです。年齢が若いほど重度のリウマチは少ないかもしれません。

【障害者総合支援法の重度訪問サービスを利用】- 私の場合、「障害者総合支援法の重度訪問サービス」を知るまでに時間がかかりました。インターネットが普及していない時代に障害を負った事と、始めの頃のインターネットで得られる情報には限りがあったので、インターネットで調べる事は思いつきませんでした。
 今はインターネットで沢山の事が調べられる時代になったんだなぁとしみじみ思います。
 私が知った頃というのは、制度の名前が変更される前で、その頃の制度名は「障害者自立支援法」でした。当時は国の方針で「障害者自立支援法」と「介護保険」を合わせて、「介護保険」に統一したい思惑があるとの話もあり、申請しても受けるのが難しかった印象があります。
 現在になっても「障害者総合支援法」は何故か世間に知られていない印象を受けます。新聞やニュースでも「介護保険」の言葉は良く聞きますが、「障害者総合支援法」についてのニュースが流れた事があったか思い浮かびません。
 重度障害者が家族に頼らず生活をするには、「障害者総合支援法の重度訪問サービス」は必要な制度です。私は正式な手続きをし受給していますが、受給者の多数である脳性麻痺や筋ジストロフィー等と比べて「重度訪問サービス」を受ける関節リウマチは少数派です。少数派だと制度を受給できるかどうか、医療機関や自治体には判断しにくいかもしれません。

【市から介護保険に移るように言われた時の事】- 40歳の誕生日の少し前だったと思うのですが、突然市役所から電話があり、「今から受けられる制度に移行できますので、市役所まで来て手続きをしてください」ということを言われました。
 担当の新人女性職員と男性職員、男性の課長の3人に個室に呼ばれ、新人女性職員から私に「介護保険に移れますよ。良かったですね。」と言われました。
 主に話していたのは新人の女性職員でした。職員は手続きの書類を差し出し、署名と印鑑を求めて来ました。
 私は介護保険が私の障害に合わない事は知っていました。「介護保険では私は生活できません。」と答えると「移らなければ法律違反」と言われました。2人の男性職員は黙ったままでした。無言の押し問答の末、ひとまず「書類に署名するのは良く考えてからにしたい」と答えると家に帰ることが出来ました。

【相談する所がない】- 最初に制度に詳しい人達に相談しました。
 沢山の障害者の相談を請け負ってきたはずの障害者職員にも、「これまでなかったケース」と言われました。
 制度に詳しい他の人達や、インターネットや市の冊子を調べて障害者が相談出来る全ての相談窓口に相談しましたが、全ての所から「どうしたらいいか分からない」と言われました。
 厚生労働省にも電話で問い合わせましたが、「判断は市区村町に任せています」との返事でした。

【障害者相談員からの提案】- CIL(障害者自立協会)の相談員から「一部だけ介護保険を受け入れたらどうか」との提案がありました。
記憶では、「一部介護保険にした生活では、一月分の介護保険を使った後から重度訪問を利用できる」ことや、「将来的に介護保険がだんだん多く適用される可能性がある」という話だったと思います。
 一度介護保険に移れば、重度訪問に戻るのは困難です。
 介護保険の時間は介護保険のヘルパーを利用し、重度訪問の時間は重度訪問のヘルパーを利用すると言う事ですが、介護保険のルールと重度訪問のルールは全く違うので、一月の間に2種類の生活を送らなければならなくなります。
一部を受け入れるのも選択肢の一つですが、出来る限り避けたいと思いました。

【市の動き】- なぜ市から私に介護保険に移行するように言われたかですが、①年齢のことと、②普段なら市役所から私宛に書類が届くのですが、私が知らない間に私の主治医宛に市役所から私の診断の記入用紙が届き、主治医は診断書を書いて送り返したそうです。
 主治医に、私が介護保険に移行するように市から言われて困っていると相談すると、すぐに市役所に抗議の電話をかけてくれましたが、役所の方針は変わりませんでした。
 もし障害のある人で、国が認める特定疾病に当てはまるのなら、40歳と65歳の節目に注意をしておいた方が良いかもしれません。

【市の対応】- その間も、何度か市役所の個室での話し合いがあり、「サインしなければ、今受けているサービスを全部取り上げますよ」と言われました。
 市の職員にそんな権限があるのか分かりませんが、それでも書類は書かずに帰り、日々重度訪問サービスを止められていない事を安堵する生活を続けました。
 本来なら誕生日の翌月から利用できる重度訪問サービスの受給者証を受け取り、1年間重度訪問サービスが受給出来るのですが、話し合いに3か月弱かかったので、その間、受給者証は発行されませんでした。措置的に1か月毎の重度訪問サービスを受けられました。

【私の対策】-  重度訪問と介護保険は、本人が申請して受けられる制度です。
私は重度訪問の申請をして、申請が通り、利用していました。
 市が「介護保険を利用しなければ法律違反」と言う時でさえ、市は私に介護保険を書類で申請するように求めて来ました。私が重度訪問を受給する事が法律違反なのか、それとも介護保険を利用しない事が法律違反なのか、どちらの事を言われたのか分かりませんが、役所の知識や対応が必ずしも正しいとは限らないと思っています。
 納得いかなければ、きちんと話し合う事や、自分で調べて確認したり、妥協したりせず、安易に書類に署名しない事が大事だと思います。
 経験上、役所との話し合いは録音した方が良いと判断したので、2回目の話し合いからは会話を録音するようにしていました。

【制度の実情】- 制度を施行するかどうかや、制度をどう判断するかは、都道府県や市区村町に委ねられている部分があるように感じています。大まかには国が決めた制度の中で都道府県や市区村町によって施行されているのですが、制度に詳しく書かれていない判断が微妙な部分は、都道府県や市区村町が独自に判断するのだと思います。
 因って、同じ制度でも、都心部や地方によって制度が存在したり、しなかったりと違いがあります。
 また、サービスを提供する都道府県や市区村町が、制度を理解していない場合があります。私の場合は、ここに問題があったのではないかと思っています。

【解決した時の事】- 市役所の広報誌には制度の事が書かれているので、見落としがないか調べていると、「市民相談・オンブズパーソン」について書かれていました。「行政相談の窓口」と書かれていることもあるようです。市政についての苦情を申し立て出来る、民間から委託された相談員で、弁護士・税理士・司法書士・宅地建物取引士・行政書士・社会保険労務士などがいるそうです。

● 総務省 行政相談 https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/hyouka/soudan_n/soudan_uketuke.html

  電話をかけて相談すると、「訴えるかどうか」の確認をされ、「訴えるつもりはない」と、一先ず答えました。福祉課に直接話してくれたとの電話連絡の後に、福祉課から電話があり、「これまで通りで良いです」と言われ、それまでと変わらず重度訪問サービスで生活が出来るようになりました。2年毎に見直すという条件が付きましたが、その時の担当職員によって対応が変化しました。

【全国で起こっている問題】-  介護保険における国が認める特定疾病の制度は、それまで制度を利用できなかった人達や、介護保険が必要な人にとっては、条件に当てはまれば介護保険を利用できる可能性があるという意味で必要だと思いますが、必要ではない人に強制的に利用させるものであってはならないと思います。
 逆に、必要なのに利用出来ない可能性もあります。

 ある障害者相談員から聞いた話では、私に起こった問題のように重度訪問から介護保険に移行するように市から強要されるのは「国が認める特定疾病」では時々起こる問題で、全国で裁判が起こされ、訴えた障害者の側が勝っているケースが多いと聞きました。
 年齢が上がるほどに、良くも悪くも介護保険が適用されやすかったり、地方や市区村町によって、受けられる制度が違ったりすることがあると思います。

 以前出会った車椅子ユーザーの方が、制度の利用が出来なくなる危機に直面する人達を支援する活動をしていると聞きました。その人が、丁度支援に向かっていたのは、1か月毎に役所に制度を続けて利用できるかどうかの審査を受けに行かなくてはならない人でした。
 毎月、自分の生活する制度が取り上げられるかもしれない環境を体験している人がいるのですが、その人たちが何か問題を起こした訳ではなく、役所がそういうように制度の解釈をした場合に、時々起こる問題だと思います。このようなケースは知られることはありません。人知れず受けられるはずの制度を受けられるように、話し合いをしている人達が、少なからずいるのだと思います。

【参考】- 
● 厚生労働省「特定疾病の選定基準の考え方」 https://www.mhlw.go.jp/topics/kaigo/nintei/gaiyo3.html

● 総務省 行政相談 https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/hyouka/soudan_n/soudan_uketuke.html

くるまりす「到着~生活」編

【到着】- 小さな子供を連れた、大きな歩くイスに乗っている女の人がいた。
「あなたの子?」と聞くと「ひとりでわたしの子を育てているの」と答えた。
その人が住んでいる町には、大きな建物が、たくさんあって、歩くイスと、歩けない人と、歩く人が、たくさんいるのに、門がなかった。
「この町に住んでもいい?」と聞くと、「自由に住めばいいよ」と言われた。
住む方法を教えてくれたけど、住む場所をさがす所でも、ヤクショという所でも、住ませてもらうのが大変だった。

【新しい生活】- ヤクショの決まりで、うまく動かない体の人は、うまく動かない体を助けてくれる、ヘルパーという人たちを、おおぜい、見つけなければならなかった。
その人たちは、わたしと、くるまリスの住む家に毎日来て、いつも、わたしのそばにいて、おもしろそうに家の中を見て、おしゃべりして、どこにでもついて来た。
わたしは、友だちに会えなくなって、笑えなくなった。

【服の教室】- 似合う服を着られるようになると、やさしい人や、話してくれる人が、ふえたから、似合う服をえらぶ勉強をして、歩けない人や、困っている人に、教えてあげたかった。
教室にいた人たちは、くるまリスや歩けない人に会うのが初めてで、わたしも「くるまリスや歩けない人に初めて会う」と言う人に初めて会った。
わたしもみんなも、どうしたらいいか分からなかったのに、わたしだけが、どうしたらいいか分からないことを叱られた。
先生だけが人をきれいにできて、こっそり呪文をとなえる魔女のようだった。

【ホウリツイハン】- ヤクショから、「あなたは歩けない人の仲間じゃないから、あなたの体をヘルパーに助けてもらうのはホウリツイハン」と言われた。
どうして仲間じゃないと言われるのか、聞いても分からなかった。
大きな歩くイスのえらい人や、たくさんの人に聞いたけど、「ヤクショから言われたら仕方ないよね」と言われた。
いつからいたのか、ヤクショで灰色に光るヘビが話しかけてきて、「あの人に聞いてごらん」と男の人を見た。いつの間にか、ヘビは消えていた。
男の人は、ホウリツを良く知っていて、話を聞いてくれた。
ヤクショに「ホウリツイハンじゃない」と話してくれたら、ホウリツイハンじゃなくなった。
法律違反」「国が認める特定疾病移行問題

【服の本】- 服の本を読むと、世界には色んな人がいて、それぞれ似合う服があって、好きな服がちがって、性格がちがった。色んな人の似合う服を考えて、服の話をすると、服を好きな人たちが、色んな服の話をしてきて、色んなことを話した。
歩けない人たちが動けなくても、似合う服を教えてあげられるかもしれないと思った。

【先生のこと】- わたしと、くるまリスを見た女の人が、うれしそうに、わたしと、くるまリスに話しかけてきた。
わたしと、くるまリスの話をすると、とても喜んだ。
女の人は、体がうまく動かない人たちのことを研究している先生だった。
わたしと、くるまリスのことを、おもしろがる人に初めて会った。
わたしも、先生がおもしろくて、仲よくなった。

【見えないカベ】- カイシャをつくる勉強をする所には、歩く人しかいなかった。
歩く人たちが遠くから、わたしを見ていた。
「歩けない人は来てはいけない」なんて、だれにも言われなかったのに、来てはいけなかった所のように感じた。
「がんばって」って言ってくれる人が少しいたから、がんばった。
「がんばってもムダだよ」と言う人がいて、遠くから見ている人たちの目は、冷たかった。
くるまリスの目が、するどくなっていた。

【ウサギの家族】- おじいちゃんウサギが、家族になった。
ウサギは、うれしいとき、足もとをクルクルまわって、怒るときは、ダン、ダンと後ろ足で床を叩いた。
長く一緒に、いたいと思った。
わたしが、できないかわりに、何人かのヘルパーが、わたしの言うとおりに、ウサギの世話をした。
わたしの言うことを聞かないヘルパーもいた。
ウサギは死んでしまった。
ヘルパーのしたことは、わたしの責任だった。
言うことを聞かないヘルパーのしたことは、わたしがしたことなんだろうか。
泣いても、泣いても、自分を責めて、考えても、考えても、ヘルパーを許せる考えが浮かばなかった。

【ダンス】- ダンスをするイスを見つけた。
次の日も見た。
「あなたもダンスをしてみたら?」と言われた。
わたしは、ダンスをしたいと思ったことがなかったけど、ダンスをする所に行った。
くるまリスは、ダンスを初めて見たみたいだった。
くるまリスは、小さな子供に、「高い、高い」って、あやすみたいに、わたしを天井にむかって、だき上げた。
くるまリスが、なんだか楽しそうだった。
ダンスが踊れなくても、いいと言われた。
ダンスは分からないけど、踊った。
くるまリスは、わたしを両手で持ち上げて、一緒に踊ってくれた。
みんなと一緒に踊れて、楽しかった。
「ここにいてもいい」って、言われているみたいな気がした。

【できること】- 偶然、さようならできずに、会えなくなった人に会った。
「夢は、叶ったか」と聞かれた。
「今は、踊ってるよ」と答えた。
ダンスの舞台に立つことが、手紙になった。

【できないこと】- ダンスが踊れなくてもいいと言われたけど、それではよくないみたいだった。
分からないで踊っているのに、「それでいい」と言われても、踊れている気がしなかった。
頭がしびれて、頭に空気が入らなくなって、ひとりになったみたいだった。
「最後まで踊ろう」って、くるまリスが言っているみたいで、大きな舞台で最後まで踊ったけど、頭は、しびれたままだった。
ここには、いられなくなった。

【迷惑】- 人の服を探すのは、体力がなくて、たくさん行けない場所があって、たくさん、できないことがあって、経験が足りなかった。
うまく説明できずに、迷惑をかけてしまった。
わたしの体は、自分で思っていたよりも、ずっと弱かった。
頭がしびれたまま、戻らなくなってしまったことに気が付かずに、迷惑をかけてしまった。

【よくある平行線】- うまく動けない人のための服をつくるのを、てつだってと頼まれた。
カイシャの社長は、みんなが着られる服を作りたがった。
うまく動けない人は、ちがう体や病気だから、みんな同じ服は着られないと話したら、社長は怒った。わたしが、いけなかったのか、誰がいけなかったのか、分からなかった。

【はじめて踊れたこと】- 新しい所で踊れることになった。
一緒に踊る人たちは、とても上手で、わたしだけ踊り方が分からなくて、頭がしびれて、頭に、空気が入らなくなって、こわくなった。
初めて、くるまリスと一緒に踊る方法を教えてくれて、動かない体でも踊れるように考えてくれて、踊れるようになるまで待ってくれた。
体に空気が入っていくみたいだった。
初めて、踊れたように感じた。

【当事者と理解者】- 体がうまく動かない人たちのことを研究している先生と、チューリップみたいな歩くイスに座っている友だちと一緒に、うまくごはんを食べられない人が、おいしいごはんを食べられるように、本を作ることにした。先生は、楽しそうで、友達は、おいしいごはんを作れて、わたしは、文章を書くのが好きで、三人で話していると、楽しかった。

【パンデミック】- 世界中が暗いトンネルの中に入ってしまったようになって、世界中のみんなが外に出られなくなった。
お父さんが心配してくれた。お父さんとお母さんの家に帰った。
家に帰ると、真っ暗なトンネルの中にいた時のことを、たくさん思い出して、真っ暗なトンネルの中に戻ったみたいに感じた。
門の中の人たちに会った。
門の中の人たちは、わたしを怖がった。
わたしを覚えていてくれた人たちが、遠くから話しかけてきた。
門の中の殆どの人たちは、昔と変わらなかった。

【むかしの景色】- 妹も帰ってきた。
わたしは、くるまリスの腕に乗って、妹と一緒に、日の光がまぶしい土手を歩きながら、花が風にゆれるのを見て、草の間を走った子供のころを思い出した。
今はもう、トンネルの外の森は消えてしまったみたいで、くるまリスは遠くを見ていた。
くるまリスの指を、ぎゅっと、にぎった。
前よりも、少し変わった家族と、前と同じような生活をした。
今は、トンネルの出口が近いような気がした。

【暗いトンネルの中のこと】- 
暗いトンネルの中にいたことを、たくさん思い出した。たくさん泣いていたことを、たくさん思い出した。暗いトンネルの中の記憶は、生きものみたいに動きだして、暗いトンネルの中の暗い所をさがしていた。暗いトンネルの中の生きものたちは、わたしが生んだ生きものたちだった。かわいそうに、泣いていた。
暗いトンネルの外にいる、わたしと、くるまリスの絵を描いた。
昔、くるまリスによく似た、リスの絵を描いたことを思い出した。